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幼少期の記憶は「目の前の事にただ夢中」

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皆さん
こんにちは!
ともぞー(@tomozo_2018)です。

 

 

 僕は、現在37歳(2018年現在)、いま下の子が年長ですから、この子と同じくらいの年代の時に、何を思って、どんな行動をしていたのか?

 

30年以上も前の事、すべてが鮮明じゃないけど。印象に残った事はおぼえていますよ。あなたも考えてみて下さい。いろんな面白エピソード発見できるかも?

 

それを生活に生かせるかも?では、ともぞーの人生シリーズ、スタートです。

 

 

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この子は、足が成長しないかもしれない。

 僕は1981年に、高校の美術教師をしていた父と、もと銀行員をしていた母の元で生まれました。

 

両親が住んでいたのは、岐阜県飛騨市神岡町ノーベル賞を受賞し、研究元となったスーパーカミオカンデで一時有名となった町ですね。昔は炭鉱の町で、母方のおじいちゃんは昔炭鉱夫だったらしいです。

 

父と母の出会いは詳しく聞いてないのですが、その町に住んでいた母と、教師として赴任してきた父と何らか出会いがあったのかもしれませんね。

 

小さな町で、出産ができる病院はなく、出生は富山県の富山中央病院らしいです。

 

そして、生まれてすぐに両親は病院の先生から、こんな宣告をされます。「この子は、足の成長が悪く、将来歩けないかもしれないよ」

 

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この話は、何度となく両親から聞かされていますので、相当悲しく、やり場のない思いに何度も悩んだ毎日だったのだろうと、自分が親になってとても身にしみます。

 

でもどうでしょう、その先生の診察が悪かったのか、運がよく病気が治ったのか分かりませんが、僕は今、何不自由なく歩くことができます。

 

「ただ、歩けていることに感謝しないといけない」と、この記事を書くにあたって最初に思い出したエピソードでした。

 

こういう事は、すぐに忘れてしまいます。あたりまえに出来ていることは、あたりまえではなく、「それだけで幸せなんだよ」ということ。

 

 

じいちゃんは、酒とパチンコの日々。

 さっき、母方のじいちゃんの話が出たので、僕に関わる人って事で、少しふれておきますね。これは、母のエピソードも混ざって紹介します。

 

炭鉱夫って話でしたが、昔から酒とギャンブルに明け暮れる日々だったそうです。母は、高校生の頃に癌でお母さん(僕のばあちゃん)を亡くしたそうで、その少ない収入でも酒とギャンブルは止めず、そうとう苦労したとか。

 

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僕も物心ついた頃、年末に帰省でおじいちゃんの家に泊まったりしましたが、面影はタバコ臭い部屋で、酒を飲んでいた雰囲気。ゲートボールとパチンコが趣味だった気がします。

 

なので、母は酒が強いですが、僕はぜんぜん酒が飲めないんですよね、そっちは父の特性が遺伝しました。

 

パチンコはじいちゃんの特性が遺伝したようで、僕、大学生時代はかなりパチンコ屋に入り浸っていました。「僕には、生粋のギャンブラーの血がながれている!」なんて思ったりして。まぁ勝てませんわね。

 

 

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 ↑幼い頃のともぞー(じいちゃんの撮った写真らしい)

 

 

父の生まれた土地へ、将来は大工?

3歳頃まで神岡町で住んだあと、家を建てることもあり、父の生まれた土地へ引っ越します。(僕の実家) 

  

家を建てるとき、何度か現場を確認しにいっていた父ですが、僕も一緒に行ったらしく、現場の大工さんの工事、道具を見るなり、興味津々で、「将来は僕も大工になるんだ!」と大声で叫んで通ったらしいです。

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モノを作ることは本当に興味があったんだろうと思います。今の大工さんは、ほとんど使用されませんが、「墨つぼ」という大工道具がすごく気にいって何度も使わせてもらった記憶があります。

 

 

 

友達の手袋を切り刻む。

保育園での事です。冬だったと思うのですが、友達の手袋に面白い絵柄が付いていました。それは、視点を変えると絵柄が変化する、今までに出会った事が無いとても不思議な手袋でした。

 

今調べるとわかるのですが、レンチキュラー印刷」って言うらしいです。

参考までに → GRAPAC JAPAN | レンチキュラー

 

当時は何も知識が無かったので、中がどうなってるのか、とても気になってしまい、その手袋をもって机の下にかくれます。

 

そして、夢中でその手袋をハサミで切りはじめます。

 

切っても、切っても原因が見つからず。そのうち、友達に見つかります。

 

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「せんせい~!ともぞー君が、僕の手袋きった~!うぇ~ん。泣」

 

両親が保育園に呼ばれ、友達の家まで謝罪しに行ったのを覚えています。当時は、それがあまり悪いことだなんて思ってなくて。

 

とにかく純粋に原因を知りたいの一心でした。

 

 

 

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先生のおっぱい触りたい。

 保育園には、可愛くて、優しくて、みんなの憧れの的、「ケイコ先生」がいました。友達に「せいいち君」ってヤツがいて、そういつは本能むきだし、エロむきだしのヤツで、

 

ことあるごとに、ケイコ先生のおっぱいを触るスケベなヤツでしたが、僕はそれを横目で見ては、「いいなぁ、僕も触りたいなぁ、アイツうらやましい」なんて思っていたけど実行できない陰湿なヤツだったと記憶してます。

 

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ハサミとテープと粘土があれば満足。

遊びといえば、ダンボールや紙で何でも作っちゃう事。セロハンテープとハサミと粘土があれば十分だった。

 

両親は「普通の子に、育ってほしくない」と思っていたらしく、教育方針が独特だったのかもしれません。まぁ、そのせいなのか何なのか、ともぞーは、変な仕上がりか?笑っ。

 

「普通の子に、育ってほしくない」←このキーワード、この教育方針が、ずっとその後の人生に影響を与えてしまっているんだと感じるはず。

 

これは、今でなら軽い虐待とも言われかけないかもです。

 

テレビは悪影響だと見せてもらえず、普通にみんなが持っているオモチャなんて買ってもらえなかった。良くも悪くもです。

 

ガンダムドラゴンボール、戦隊モノの番組、キャラクターは知っているものの中身のストーリーなんて知らなかった。

 

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だから、自分で作るしかなかった。ダンボールで銃を作ったり、家を作ったり、ソレは常に想像力を働かせる連続でした。

 

ただ、それが普通の事だったので、それでも当時は十分満足していたと思います。

 

   

まとめ

 幼少期は、ただ純粋に目の前の事に集中し、夢中になれる事が多い毎日だった気がします。ものを作ることには、とにかく興味があったし、探究心もすごかった。

 

人目を気にするなんて無かった。ただ、保育園の先生のおっぱいに関しては気にしてましたね。笑っ。

 

 

以上、ともぞーでした。

 

 

 

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